継いだのは患者と建物だけではなかった——先代が担ってくれた地域での役割
受付から渡された封筒には「町内会」と書いてありました。開封してみると、そこに書かれていたのは地域の行事での救護班依頼の文書でした。
「え、こんなこともやっていたの??」
わざわざ町内会長さんが、受付に届けてくれたそうです。毎年このように依頼しているのだとか。これは先代からずっと続いてきたもので、断る理由は見当たりません。
それでも当時の私は、この役割を引き受けることを躊躇していました。いや、むしろ、どうやって断ろうかと考えていました。
契約書にも申し送りにも出てこないもの
承継で引き継ぐのは、患者さんとカルテ、建物と設備、スタッフの雇用、そして借入。だいたいそのあたりを想像していました。しかし実際に継いでみると、想定外のものがありました。地域での役割です。
地域の行事があるとき、救護として医師が出る。それは先代から続いていたもので、契約書にも申し送り事項にも出てきません。前の院長がやっていたから次の院長もやるものとして、慣習となっていました。
休診日に仕事が生じる、という負担
私が負担に感じていたのは、地域に貢献することの意義や重さではなく、もっと単純に、クリニックの休日に仕事が発生する、ということでした。精神的にも、身体的にもです。
承継してまもない頃、診療時間が終わったあとの時間は、すでに埋まっていました。紹介状などの書類作成、スタッフの管理、経営に関する雑務。診察室を出てからが二つ目の仕事で、休診日はその処理と、体を休めることに使うしかありませんでした。
さらに、建物を建て替えるための借入があり、診療の幅を広げるという判断も重なっていました。個人の貯蓄を取り崩してクリニックの税金を払ったのも、この頃のことです。当時の私は、時間の面だけでなく、資金繰りを考えることに手いっぱいで、精神的な余力も奪われていた時期でした。
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だから私は、断ろうと考えていました。先代から続いてきた役割だと分かってはいても、これ以上は引き受けられない、と。
いま振り返ると、これは意欲や志の問題ではなく、リソース(資源)配分の問題だったと思います。継いだ直後は、診療も経営も人の管理も、すべてが一度に自分の側へ来ます。持っているリソースは有限で、どこかに使えば、どこかが減る。承継直後の後継者が抱えているのは、たいていこの配分の問題です。
先代が引き受けてくれた——承継の"引き継がない区間"
しかし、断りませんでした。父に相談したところ、父がその役割を引き受けてくれたからです。
以後、地域から要請があるたび、父は断らずに参加していました。
そのときの気持ちは「ホッとした」という純粋な安堵です。休診日が休診日のまま残る。それだけで、当時の私には十分ありがたいことでした。そしてもう一つ、地域との繋がりを父が保ってくれている、という感謝がありました。院長は代替わりしても、地域から見た診療所との繋がりは切れずに続きました。
役割は、時代とともに終わった
時を経て、地域からの要請は少しずつ減り、やがて来なくなりました。残念という気持ちはあまりなく、自然な流れとして受け止めた、というのが正直なところです。
理由はいくつか考えられます。救護班が診察にあたることは、毎年ありませんでした。行事は続いていましたが、わざわざドクターを要請する必要はないと、地域の側も感じ始めていたのかもしれません。
また地域からの依頼がなくなったころには、父が開業した頃と比べ、周辺には専門性を前面に出した開業医が増えていました。たまに風邪などで当院を受診する患者さんのお薬手帳を拝見すると、他院からの処方薬が並んでいました。町内の人も、自分の病気に合った医院へ通うようになっていたのです。地域の医療を当院がすべてカバーする時代から、変化していました。
同じように私も、自分の専門性を出して診療するようになっていました。広い範囲から患者さんが来院するようになり、診療圏は広がっていました。地域の側の変化と医院の側の変化は、表と裏だったのです。
継ぐ側と譲る側、その両方に猶予がある
いずれ、私も譲る側に回る
承継から時間が経つにつれ「いずれ自分も譲る側に回るだろう」と考えるようになりました。そのとき、院長という役割は自分の手から離れます。想像してみると、これが思いのほか重い。診療をしなくなることよりも、自分の今の役割がなくなることが、うまく想像できないのです。
医院を第三者に譲ることをためらう理由としては、条件や税金の話がよく語られます。けれど、それだけではないのではないか、と私は考えるようになりました。役割を失うこと——自分が担っていた場所がなくなること——への抵抗が、そこに混ざっているのではないか。もちろんこれは私の想像であり、人さまざまでしょう。
でも、そう考えると、あのとき父が要請のたびに断らずに参加していたことも、少し違って見えます。あれは私を助けるためだけの行為ではなく、父の側にまだ残っていた役割だったのかもしれません。
いま、地域との関わりはどこに残っているか
救護の役割はなくなりましたが、地域との関わりがなくなったわけではありません。担い方が変わったのだと思っています。
いま当院が地域で担っているのは「かかりつけ医」としての役割です。感染症などへの対応や自分の専門領域については、当院で診ています。しかし疾患が当院で診るべきものでなければ、それに合った医療機関へ紹介します。
休診日に救護として出るのも、紹介先を考えるのも、地域にとって必要なことをするという点では同じです。それが地方のクリニックの役割なのだと思います。これは今後とも、時代と共に変わってゆくでしょう。
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まとめ:この経験で見えたこと
- 承継で引き継ぐものには、契約にも申し送りにも出てこない「地域での役割」が含まれていることがある。
- 承継直後は診療・経営・書類・スタッフ管理が一度に自分の側へ来る。引き受けられない役割が出てくるのは、意欲ではなくリソース配分の問題だと考えている。
- 承継直後に配分しきれない役割は、譲る側にしばらく残ってよい。私の場合、それを先代に担ってもらった。
- 地域でのクリニックの役割は、時代とともに配分が変わる。私の場合、周囲に開業医が増えるなかで要請そのものがなくなり、いまは紹介という別の形で残っている。
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