クリニック承継

慶弔費の額は、どこにも書かれていなかった——継いだ院長が就業規則を整えた理由

白衣の院長が机で綴じた書類に目を通し、そばでスタッフが笑顔で見守っている。机の上には書類の束とファイル、電卓が並び、奥の明るいスタッフルームでは、マグカップを手にくつろぐスタッフたちの姿が見えるイラスト。

「あれ?香典の額って決まっていないんだ……」

あるスタッフの家に不幸があり、香典を渡そうとしたときのことです。慶弔費の額がどこにも書かれておらず、戸惑いました。これは有給休暇の扱いについても同様でした。

承継してしばらくは、慶弔のたびに、いくらにするか考えていました。

有給休暇はあったようですが、それが実際にどう運用されていたのか、私には把握できませんでした。

その後、社会保険労務士さんと相談しながら、就業規則を整えていきました。

ただ、明文化した理由は、香典の額や有給休暇の扱いを決める手間を減らすためだけではありませんでした。

休暇も慶弔費も、どこにも書かれていなかった

それまでの医院は、家族経営のような、書かなくても通じ合うやり方で回っていました。当時の医院の規模と時代では、それで機能していました。しかし勤務医として働いてきた身には、制度がきちんと書かれていないことに違和感がありました。

退職金も同じでした。継いだとき、医院には退職金の規程も積み立てもありませんでした。

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賞与を少し増やした日のこと

就業規則を整えるより前に、こんなことがありました。

忙しい日々が続いたときです。スタッフの頑張りに報いたくて、賞与を少し増やしました。増額分は、本来なら自分の取り分になるところから回しました。

喜んでもらえると期待し、渡すときに賞与を増額したことを伝えました。しかしスタッフの反応は薄く、きょとんとしていました。

思ったような反応が返ってこなかったことに、いささかショックを受けるとともに、このとき、雇う側と雇われる側は立場が違うのだということが、強烈に入ってきました。

これはどちらが良い、悪い、ではありません。スタッフたちは仕事で頑張った分は当然もらえるものと思っていたようです。思い返すと私も勤務医の頃、同じように感じていました。

今はこう考えています。スタッフには、働いた分の給与や賞与を受け取る権利があります。そのお金がどこから来ていようと、それはスタッフの問題ではありません。どこから持ってくるかは、払う側の問題です。それが、雇用主としての立場であり、責任なのだろうと思います。

喜んでもらえるだろうと思っていたこと自体が、払う側の立場から来ていました。スタッフの反応は、当然のものだったのです。

書いたのは、払う側が強くなりすぎないため

この出来事をきっかけに、様々な場面で立場の違いを実感するようになってきました。給料を払う側と受け取る側は、どうしても立場が違います。誰が院長であっても、この違いは「構造」として存在するものだと思います。

いろいろなことが明文化されていない状態では、院長の裁量が入る余地が生まれます。そうなると、払う側が強くなりすぎてしまう。それが、スタッフに混乱をもたらすことになると思いました。

こういったことが重なり、就業規則を書くことにしました。書いておくことで、払う側が強くなりすぎないようにする。そういう意図がありました。

何も書かれていなければ、いつか「これだけ払っているのに」という気持ちが、私の中に生まれるかもしれません。賞与を渡したときに、喜んでもらえるだろうと思っていた気持ちと、この「これだけ払っているのに」は、どちらも払う側の意識から来ています。あのとき腑に落ちた立場の違いは、ここで自分への戒めになりました。

書いてあれば、給料は約束どおりに払うものになります。恩を着せる余地は、なくなります。私自身、やや感情的になることがあっても、書かれた就業規則を見ると、冷静になり、落ち着くことができます。

就業規則というと、スタッフを縛るための決まりと受け取られることがあるかもしれません。けれど、私が書いた理由は「スタッフを縛るため」ではなく「給料を払う側の私が強くなりすぎないようにするため」でした。

書いてからは、非常に楽になりました。慶弔費や有給休暇の扱いは、就業規則を見て、書かれた基準から決めるだけです。考えることにリソースを使わずに済むようになりました。また、雇う側と雇われる側の感情的トラブルを未然に防げるという安心感も、楽になった理由の一つです。

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書いても、居心地は変えなかった

スタッフを縛るために書いたわけではないので、就業規則を整えたあとも変えなかったものがあります。

小さな医院ですから、雇う側と雇われる側というだけの、冷たい関係ではありません。スタッフにとって、なるべく居心地のよい職場でありたいと思っています。それは先代と変わりません。

例を挙げるなら、次のようなことです。

新しく建てた建物では、スタッフルームを広く、居心地よくしました。

細かいことに口を出さないようにもしています。

そして、スタッフをなるべく平等に扱うことに気をつけています。特定の人だけがひいきされていると映れば、必ずスタッフの間の仲が悪くなる。私はそう思っています。

まとめ:この経験で見えたこと

  • 継いだ時点で、慶弔費の額や休暇の扱いは、どこにも書かれていなかった。承継後、書かれていなかったことを少しずつ書いていった。
  • 雇う側と雇われる側は、立場が違う。良い悪いではなく、立場の違いである。
  • 就業規則は、スタッフを縛るためではなく、給料を払う側の私が強くなりすぎないように書いたものだった。
  • 書いても、スタッフにとって居心地のよい職場でありたいという気持ちは、先代と変わらない。

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山のクマ

この記事を書いた人

山のクマ継いだ院長、経営のリアル