継ぐと決めた理由は、きれい事だけではなかった——勤務医が父の医院を継ぐまで
開業医の子どもは跡を継ぐもの。物心ついたときから、自分の周りからはそう見られていたように思います。私もそのつもりでいました。そのため、大学受験は医学部のみでした。
医学部に入ったときには、ほっとしました。大学時代は受験のストレスから解放され、留年しない程度に、やりたいことを思いっきりやった6年間でした。
いずれ父の医院を継ぐのだろうとは感じていました。ただ、いつ、どのように継ぐのかは、具体的に考えていませんでした。
父から、継いでほしいと直接言われたことはありません。けれど家の中は「継いで当然」という空気で回っていました。
それなのに、勤務医として働くうちに、承継のことはすっかり頭から抜けていました。
最終的に継ぐと決めた理由は、予防医学への思いです。ただ、理由はそれだけではありませんでした。
「継いで当然」の家で、承継を忘れていた
研修医の頃も、専門である循環器内科の後期研修に入ってからも、いずれ継ぐことは意識していました。そのため、自分の専門分野以外の患者さんも診察し、知識と経験を蓄えるようにしていました。
初期研修、後期研修も修了し、学位を取るために大学へ戻りました。最初は不安もありましたが、いざやってみると、研究はとても楽しいものでした。自分でデータを集め、まとめて学会で発表し、論文として投稿する。アクセプトされて雑誌に載り、別刷りが送られてくる。自分の努力の証しが形になる日々が続き、毎日が充実していました。
学位を取ったあとは、中堅として基幹病院で働くことになりました。循環器内科の仕事も楽しく、特に救急の現場にやりがいを感じていました。具合の悪い患者さんを、チームを指揮しながら良い方向へ導いていく。一瞬の判断が求められる緊張感と、上手くいったときの充実感は、今まで味わったことのないものでした。
当時の循環器内科では、虚血性心疾患や不整脈の治療を、カテーテルで行うようになっていました。自分の手で治療できる手応えがあり、やりがいを強く感じました。
楽しく充実した環境で働いているうちに、承継のことは、すっかり頭から抜けていました。研修医の頃から、継ぐことを意識して備えていたにもかかわらず、です。
跡継ぎが戻ってこないのは、継ぎたくないからとは限らないのかもしれません。勤務医の仕事が面白いから、ということもあるのではないかと思います。
疲れと、限界と
その後、基幹病院から大学病院へ、スタッフとして戻りました。臨床と並行して、また研究も行うようになりました。
しかし年齢が上がるとともに、救急医療での対応で、疲れが残るようになってきました。救急対応しているときの瞬発力、判断力には衰えを感じていませんでしたが、寝ても疲れが取れない。翌日には頭が以前ほど回っていないことを、感じ始めていました。
一方、研究では、自分の能力の限界を感じていました。上に立つ先生たちの、研究に対する知見の深さには、感動を覚えました。同時に、自分との大きな差を感じるようになりました。
ある日、先輩から論文の査読を任されました。ところが、内容が全く理解できないのです。様々な文献を読みましたが、やはり理解することはできなかった。悔しい気持ちでしたが、私はその旨を先輩に伝えて、論文をお返ししました。
先輩は、ものの数日で査読文を作成し、私に見せてくれました。査読文は理路整然と書かれており、論文が理解できなかった自分の頭にもすーっと入ってくる内容でした。脱帽という言葉がぴったりで、素直に「すごい」と思いました。
このとき、大学に残ることは、能力的に無理だと悟りました。
予防するなら、第一線で
一方、臨床では、忙しく救急医療もこなす中で、多くの循環器疾患は予防できるのではないか、という思いに目覚めていきました。
喫煙・高血圧症・脂質異常症・糖尿病は、虚血性心疾患の主な危険因子とされています。様々な文献を読んだり、入院患者さんの診療にあたったりするうちに、これらに対応していれば、虚血性心疾患は相当数予防できるのではないかと感じるようになりました。
自分の力で心筋梗塞や狭心症を減らすことができたら、面白いのではないか。そう思い始めていたのです。
予防医学を実践するなら、大学病院や基幹病院ではなく、第一線のクリニックが最適だと考えました。そして、あらためて承継の道を強く意識するようになりました。
カテーテル治療を手放すことに、ためらいはありませんでした。理由は3つあります。
- 予防医学へのワクワク感があったこと
- カテーテル治療には自分より上手な人がいて、自分がそこにいなくても回ると思えたこと
- 予防医学は、患者さんに最も近い立場の「町医者」にとって、意味のある仕事だと思えたこと
承継の決め手は、予防医学への興味でした。ただ、限界を感じていたのも確かです。きれい事だけで決めたわけではありませんでした。
父に相談したところ、了承を得ました。そこから、一気に承継する方向へ舵を切りました。
継ぐと決めてからは、迷いはありませんでした。医局からも、異議は出ませんでした。医局の上層部も、私がいずれ承継するだろうと感じていたように思います。
ただ、思い立ってすぐに継いだわけではありません。1〜2年程度の期間をおいて承継しました。注意したのは、医局の人事に穴をあけないことでした。
疲れて選び直すのは、逃げではない
開業の動機は、きれい事だけではありません。
疲れを理由に病院を離れることは、「逃げ」とも考えられます。けれど私の周りを見ても、基幹病院での疲労が開業のきっかけになった先生は、少なくありません。
それは、ワークライフバランスを考えた結果とみれば、後ろ向きではなく前向きな選択だと思います。疲れて働き方を選び直すことは、逃げではありません。
きれい事だけではない動機でも、選んだ道は前向きでいい。少なくとも私は、そう考えています。
今振り返ってみると、仕事の疲れだけでは次のキャリアは決まらなかったと思うのです。このような理由で病院からの転職を考えるとき、開業医以外の道も候補に挙がります。それでも私が開業医になる道を選んだのは、予防医学への興味があったからです。
年齢や仕事による疲労を理由に開業や承継をすることは、ありだと思います。それでも、開業医の仕事への興味を持って選んだほうが、その後の展開やモチベーションの維持に役立つと感じています。
継いでからは、生活習慣病を継続して診る形へ、診療の幅を広げました。それは、予防医学の実践でもありました。
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まとめ:この経験で見えたこと
- いずれ継ぐと感じ、研修医の頃から専門外の患者さんも診て備えていた。それでも、勤務医の仕事に打ち込むうちに、承継を忘れていた。跡継ぎが戻ってこないのは、継ぎたくないからとは限らないのかもしれない。
- 承継の決め手は、予防医学への興味だった。ただ、救急の疲れと研究での限界も、確かにあった。
- きれい事だけではない動機でも、選んだ道は前向きでいい。
- 疲れを理由にするのもありだと思う。それでも、開業医の仕事への興味を持って選んだほうが、その後の展開やモチベーションの維持に役立つと感じている。
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